びわ湖にみる〈文化〉の意味   西本梛枝

びわ湖にみる〈文化〉の意味

西本梛枝

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井上靖の長編小説に『夜の声』という作品がある。いわゆる〈代表作〉には入っていないようだが、自然破壊、環境汚染を憂えるものとして、特筆しておきたい作品の一つだと思っている。発表されたのは1967年。日本の高度経済成長に加速がつき始めたころで、世の中は、いずれ歪むであろう社会のことなど眼中になく、浮かれていた時代である。

主人公は、〈神の託宣〉で、文明という魔物と戦い、最愛の孫娘を魔物の手の届かない万葉の清らかな時代を残している地で育てたいと考えている『万葉集』愛好の老人である。孫娘には悲しいこと、美しいことがちゃんと判る乙女に育ってほしいと思っていて、そのためには風の音や川の流れ、木立の芽生えや夏の夕暮れ、秋の白い雲や雪も必要。つまり季節が明確に巡る地を求めていた。

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そういう場所・・・。それが近江であった。辿り着いたのは朽木村(現在は高島市)。滋賀県2番目の長い川、安曇川源流の村である。かつて木地師や筏師たちが安曇川や安曇川の支流の川の畔で「山」を生業として暮らしていた地だ。老人が「万葉の清らかな時代を残している」と感じた風景は、実際、朽木に行くと納得する(もちろん暮らしぶりは変わってきているが・・・)。大根が干してある。洗濯ものがはためいている。その長閑なこと!

巡り来る季節とともにある暮らしは、人間に、人間も自然の中の一生き物にすぎない、ということを自覚させ、暮らしは自然への畏敬の念の中で営まれる。万葉人と現代人との違いはそこにあろうか。

自然への人の向き方でみれば、西洋と日本にも違いがある。
自然を支配しようとして「文明」を生みだしたのが西洋、自然に寄り添って生きて「文化」を生んだのが日本・・・・・・だと。

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元々、日本人は自然を受け入れ、自然とともに生きる知恵を生み出してきた。たとえば長浜の盆梅展。冬の寒い時期を豊かな心持ちで乗り切る湖北の人の知恵の一つだろう。北海道旭川では厳冬、空気中の水蒸気が凍り、陽光でキラキラ光ることがある。 人々はそれを「ダイヤモンドダスト」と呼ぶ。半端でない寒さを楽しむのだ。
自然と対峙しない暮らし。それを「文化」と呼びたい。

そういう文化を潜ませている場所の一つが川。万葉時代が残っていると小説の中の老人が感じた安曇川の畔の暮らしも、自然と同行しているように見える。春は春の、夏は夏の、秋は秋の、冬は冬の、時間が流れている。

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山の文化は琵琶湖に流れ入り、琵琶湖の文化になる。琵琶湖に流入する河川は大小合わせて四百数十本という。近江の地を網の目のように流れて琵琶湖に入ってくる。琵琶湖は近畿千四百万人の水瓶と呼ばれたりするのだが、「水瓶」と簡単に呼んでほしくない。近江の文化を集めた宝箱だから。

現代文明を魔物だと叫んだ万葉老人が探し求めた《汚れなき地》近江。この時空を伝えていく術を教えてくれる一つが琵琶湖である。

 

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